どこか変だよ?日本人

明るい日本の未来のために

夏野菜日記5/15

今日は野菜つくりの話(日記)

 

昨日のブログで、

「農業なんて絶対にしたくない」って

言ってたばかりなのに、なぜか今日は農の話。

 

以前のブログでなぜ始めたかについて、書かせていただきましたが

100万アクセスブロガーの「滝沢泰平」さんにインスパイアされ

何かを始めようと思ったのがきっかけでした。

 

実家は、かぐわしき自家製循環型肥料を当初使っていましたが

農協の職員であった父は、いつしか現代型の農業に転換しました。

いわゆる、化学肥料や農薬を使った農業です。

 

そのおかげで重労働から開放されたわけです。

でもそのスタイルになったとしても、

かっこ悪いという見方は変わらなかった。

滝沢泰平さんのブログに合うまでは。

そのおかげで、私は無農薬無肥料で野菜を作っています。

父のやってきたこととは真逆の農法です。

 

しかしあれですね、見方や視座が変わると、

かっこ悪い⇒かっこいい!!に転換してしまうものですねw

 

とはいえ、昔の農家さんのような格好をする氣はサラサラ無いので

そこは譲れず、おしゃれに行きたいところです。はい

 

アグリアパレルなんてのもあっていいと思うんですよね。

若い就農者も増えてるみたいだし、

作業性・機能性・運動性をもたせつつ

おしゃれを楽しめるウェアやグッズを開発するとか。

(誰が買うかは別として・・・)

道具なんかは、優れれた商品を集めるのもありですよね。

セレクトショップみたいな感じで。

 

う~~~ん、やってみようかなぁ~

(実は私、アパレルのデザインやパターンをやってました。)

 

あっ!話が脱線してしましました。

野菜つくりの話へもとい!!

 

明日は雨が降るらしい。

雨の翌日は畑の土いじりができません。

 

そして翌々日からは、3ヶ月間の休養明け。

今日は急いで夏野菜の仕込みをやってきました。

 

 

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今日は

 

・ピーマン

・里芋

・生姜

・さつまいも

 

などを植えて来ました。

これでほぼ、夏野菜の準備は出来ました。

 

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これはオクラ(ダビデの星)。ちょっと前に種をまいています。

この種はアナスタシアという、特殊な方法でやってみました。

 

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落花生の芽が出ました。自家採種の種です。

 

 

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とうもろこしも芽吹きました。

 

畑の野菜さんたちは、今年も元気に育ち始めています。

 

野菜さんたちには、コロナとか

そんな禍(わざわい)など何も関係ありません。

いつもどおりです。

芽吹き、成長し、やがて種をつける。

これを古来から繰り返し、延々とやってきているのです。

 

ニュースなど見ません。

不安や怖れなども無いはずです。

 

植物に学ぶことは非常に多いですね。

 

自然と向き合うと、また何か新たな視座が生まれます。

だからやめられません。

 

ありがとう。

おらこんな村いやだ~♪幼少期(+α)編

肥溜め(こえだめ)って知ってます?

 

まあ知ってても、見たことのない人がほとんどだと思います。

今は、ほぼほぼ水洗トイレですからね。

 

おトイレに流すものを、溜めておく設備のことです。

実はこの肥溜め、昔実家にあったんです・・・

 

なので、トイレといえば当然

「ぽっとん便所」

いわゆるくみ取り式のトイレでした。

 

今思えば、臭くて怖いところだったなぁ~~

子供の頃は、穴から引きずり降ろされたどうしよぉ~~~

って、夜は怖くて入れませんでしたw

 

現在でこそ全国の水洗トイレの普及率は、90.7%だそうです。

総務省統計局の調べによる)

50年前は資料が見つからなかったのでわかりませんが

相当低かった事は間違いないです。

 

で、私の実家はこの「ぽっとん便所」に溜まったものを

長いヒシャクで汲み上げ、それを桶に入れ

天秤棒で担いで「肥溜め」に移していたわけです。

当然人力で。

↓↓↓↓↓たしかこんな道具でした↓↓↓↓↓

(プラスチックだったような?)

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それは重労働だったと思います。

やりたくもなかったはずです。

重かったでしょう。匂いも相当きつかったと思います。

 

バキュームカーで吸い上げ、

お金を払って処理してしまえばそれで終わり。

でも、父母はそれをしませんでした。

 

何故でょう?

 

それは、「肥溜め」で発酵させたものを、

肥料として畑にまくためです。

 

当然また肥溜めからそれを汲み上げ、

桶に入れて、天秤棒で担いで畑にまきます。

すごい重労働です。いったい何キロあったんでしょう?

 

上の写真の様な木製で

江戸東京博物館に展示されているものは

なんとそれだけで【26Kg】もあるそうです!!

内容物を入れたら、軽く50~60Kgになっちゃいますよ!!!

ま、マジか・・・・・

大人の男一人分の体重じゃん・・・・

 

ちなみに、江戸時代は農家が都市部の長屋などから、

屎尿を購入することも行われていたそうです。

 

処理をしてもらって、それがお金になるなんて

今とは真逆の世界ですよね。

 

江戸時代の事は、今の日本人はあまり良いイメージを

持っていないかもしれませんが、

天下泰平、260年続いた徳川幕府

そこでは完全な循環型社会が出来上がっておりました。

もちろん食料自給率100%。

鎖国をしていましたから、今のように輸入に頼る事なく、

それでも国内の資源を最大限活用し、

あれだけの文化を発展させてきたのです。

 

激動の世の現在、江戸に見習うところは多々あると思います。

 

 

少し話がそれてしまいました。

 

私の実家も、当時は循環型だったわけです。

 

しかしこの自家製肥料。

当時はものすごく嫌でした。

 

そして恥ずかしかった。

友達に知られたくなかった。

 

なにせ自宅の裏の畑にまくわけですから、

それはそれはかぐわしい香りがするわけです。

一度まいてしまえば、当然しばらくそれは続きます。

やがて鼻が慣れてしまいますがwww

 

 

でも友達に知られたら馬鹿にされるんじゃないかとか、

いじめられたり、仲間はずれにされたくないとか、

そんな事を考えていたと思います。

 

共働きで疲れているはずなのに、

朝は田畑へ、休みの日にも田畑へ。

そして時には自家製肥料DAY(笑)

 

今では感謝しかありませんが、

当時少年だった私は、自分のことしか考えない

とても身勝手で、自己中心的で、許容範囲の狭い人間でした。

 

少年時代の1970年代は、高度経済成長が終わり、

日本も先進国の仲間入りを果たし、経済を中心に物が回りだす中

私の中ではこんなイメージが固まっていました。

 

農家なんてかっこ悪い!ダサい!臭い!疲れる!貧乏!

友達とも遊べないし最悪!!!

 

そう、絶対にしたくない仕事第一位になったのです。

それが東京への憧れをどんどん強くしていったのです。

 

つづく

 

おらこんな村いやだ~♪ 幼少期編

今更ですが、なんで東京に出てきたんだろって

振り返ってみました。

 

もう30年以上もいるんですね。

 

私の出身地は新潟県です。

 

今となっては新潟市秋葉区という

何となく「アキバ」を感じさせる地名ですが、

(正式には「アキハク」と読みます)

政令指定都市市町村合併により、

2005年に誕生した比較的新しい地名です。

 

私が生まれたのは、1969年。

その頃は、「中蒲原郡」という

とてつもないど田舎でした。

(ど田舎とは言っても、田舎大好き!)

 

地平線が見えそうなほど

周りは果てしなく続く田んぼばかり。

国内有数のお米どころです。

 

両親は共働きで、父は農協の職員

母は町工場のパートで働いていました。

働きながら田畑もやっている働き者。

いわゆる兼業農家というやつですね。

 

父は6人兄弟の長男だったので、

祖父母も同居している、比較的大所帯。

 

そんな家の次男として生を受けました。

 

忙しい両親からは、かまってもらった記憶がありません。

でも祖父母がいたので、私はおじいちゃん子だったと思います。

 

おじいちゃんの名前は「良吉」

(私の名前の1文字はここから来ました)

 

曽祖父(ひいじいちゃん)の残した借金を返すため、

井戸掘りという重労働をして非常に苦労をしたそうです。

 

で、この良吉じいちゃん、右腕がありませんでした。

井戸掘りで怪我をしたわけではないようですが、

なにかの怪我で、壊疽になり切断したと聞いております。

 

でも左手一本で何でも器用にこなすんです!

母から聞いた話ですが、私の布おむつも交換してくれたそうです。

すごいですよね!!

おじいちゃん、ありがとう!

 

こんなじいいちゃんあっての私ですが、

とても怖い思い出があります。

 

それはベルトをムチのようにして追い回された記憶です。

 

幼い頃なので理由は完全に忘れてますが、

兄弟喧嘩をすると仲裁に入るでもなく、

ベルトを持ったじいちゃんに追い回され、

兄弟で泣き叫んで逃げ回った記憶があります。

 

今それやったらDVとか虐待とか言われるんでしょうけど

昔ってそんな教育だったんですかね?

 

っま田舎ですし、いい家の育ちでもなかったですから。

 

この話は、お盆に帰郷すると、決まって出てくるネタです(笑)

でも、孫のことをいつも思ってくれるじいちゃんは大好きでした。

 

 

小さい頃から、特別な才能もなく、

これといって勉強が得意でもありませんでした。

いたって普通。そう、普通の子。

強いて言えば、図画図工は好きだったかな?

あと、音楽。特に合唱が好きでした。

 

なぜかと言えば

「いい声してるねぇ~」

って言われたからです(笑)

 

はい、褒めて伸びる子です!(爆)

でもそれだけです。

その後聖歌隊に入ったり、合唱部に入ったりしてません。

てか、ありませんでした・・・

 

リーダー的存在でもなかったですが、

ノリはよかったです。

 

遊びに誘われれば速攻行きます。

 

私が育ったところは、小さな里山もあったので、

小学生の時なんかは、よく山に探検に行ってました。

秘密基地作ったりね(笑)

 

そういえば探検とかいって山に入ってたけど、

方位磁石もなければ、食料や水なども持っていかなかったなぁ~

ずいぶん無謀というか、ワイルドな遊びをしていたものです。

実際迷った事もしょっちゅうでしたけどね。

 

グランドでは放課後の遊びといえば野球でした。

毎日日が暮れるまでやるんですけど、あまり上手くはなかった。

でも、純粋に楽しかった。うん、楽しかった。

 

冬になれば大雪が降るので、登下校がすでに遊びです。

除雪車が歩道に大量の雪を積み上げ、そこを歩いてゆくのですが

山あり 谷あり氷あり!!

子供にとって格好の遊び場です。

しかし、この歳になった今、あの道を通りたくはありませんが(笑)

 

あと楽しかったのはミニスキーですね!

長靴にプラスチックの短いスキーを固定して滑るやつ!!

あれはめちゃくちゃおもしろい。

雪国ならではの楽しみでした。

 

そんなこんなで遊びほうけた小学生時代ですが、

友達に遊びに誘われると、ついノリで行っちゃうんです。

 

が、共働きで兼業農家ということもあり、

両親は猫の手も借りたいくらい忙しかったでしょう。

 

ですので、家の手伝いを頼まれる事もしばしば。

 

しかし、しょっちゅう遊びに行っちゃうもんだから、

手伝いを忘れたり、サボったりしてました。

 

だって、友達みんな家の手伝いする子とかがいなかったんです。

周りの友達は、サラリーマンの家か専業農家だったり、

作り酒屋や、材木屋だったりで、手伝いしなくていいな~~とか思ってました。

 

当然頼まれごとをしなければ怒られます。

 

そうなると自分の思うようにいかなくなるもんだから、

「こんな家に生まれてこなきゃよかった」

とか平気で言ってました。

 

なんて勝手なやつでしょう!

小学生の俺!!

 

よく母に

「親になってみればわかる」

と口癖のように言われましたが、

今となっては痛いほどよくわかります。

 

そんな自分勝手な小学生の良博は、

いつしかテレビの中にある都会に憧れだします。

 

ここには何もない。

けど東京に行けば何でもある!と

 

 

私には胎内記憶も、生まれてきた意味も知りませんが

 

 もしそんな事がわかれば、また違った人生を歩んでいたのかもしれません。

 

でもそんな事を考えるよしもなく、

少年良博は、ブラウン管の向こう側の世界に引かれたのでありました。

 

つづく

 

 

全部無料って?

キブツ」ってご存知ですか?

 

そのコミュニティー中では、

家賃や光熱費をはじめ、

食事も、教育も、医療も、

スポーツ施設や娯楽施設、

なんならタバコなどの嗜好品も(私は吸いませんがw)

すべて 無料 で提供されるそうです。

もちろん仕事に従事することは必須です。

 

凄くないですか?

 

『そんなのどこにあるの?』

 

って思いますよね。

 

はい、残念ながら日本にはありません。

私もまだそこには行ったことは無いのですが、

私の敬愛する赤塚先生は、すでに30年も通われているそうです。

 

人類の歴史上、唯一成功した社会主義の組織

それがキブツだそうです。

 

社会主義と聞くと、旧ソ連などを連想され

なんか怪しいかも、などと思われるかもしれませんが、

それはソ連が崩壊したからに過ぎません。

事実、「キブツ」は誕生から100年以上経過しても

今だ存続しております。

(ちなみに旧ソ連は100年ほどで崩壊しました。)

 

その「キブツ」ですが、

日本でこのコミュニティーを作ろうと、

もう6年も前から提唱し、今でも着々と準備をされている方がいます。

 

月間100万アクセスのWEBサイト「天下泰平」ブログ執筆者

【滝沢泰平】さんです。

 

私が「キブツ」を知ったのも、このブログでした。

行っていない私が紹介するのはおかしな話になるので、

実際現地に行き、体験し、感じられたことを書かれている

泰平さんの、当時のブログを引用で貼り付けさせていただきます。

 

これを読むと、めちゃくちゃ行きたくなります。

こんな世界があるのかと、びっくりします。

そして、この深い洞察やビジョンに共鳴します。

ぜひご一読ください。

 

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私は泰平さんのブログから色々な事を学び、

家庭菜園をやるきっかけとなり、

運営されているネットショップ【やつは】で販売している

グッズなども購入させていただきました。

 

何よりも大きかったのは色々な「視座」が

自然に身についた事です。

多分「天下泰平」ブログを読むうちに、

勝手にそうなるようになっているんだと思います。

いや、綿密に計画しているのかもしれませんね。

 

で、こうして泰平さんと呼ばせて頂いておりますが、

実はまだお会いしたことがございません。w

 

でも、ブログやメルマガ、ネットショップなどは

利用させていただいております。

 

それに、「日本版キブツを全国に」と

提唱されていることに、深く賛同しております。

 

実現に向けては、様々なハードルもあると思いますが、

私も何かできることがあるか?

など考えながら、いつかお会いできる事を楽しみにしております。

 

時代の大きな変革期である今こそ、

こういったコニュニティーの重要性を

ビリビリと感じている今日このごろです。

「どよ~ん」 って どーよん?

昨日の記事で、自分の中の

ノアの箱舟」を考えていました。

 

その結果

「どよ~ん」

ネガティブモード突入です・・・

 

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あっ!

こんなに酷くは無いんですけど(笑)

 

ノアの箱舟」=神の望みに気づく

と昨日の記事にしたのですが、

なんかですね、いきなり崇高すぎてしまったのか

色々考えることがあり、現実から将来を見据えた時

あまり明るくないビジョンが見えてしまい、本日は少し

どよ~ん

となってしまいました。

 

 

実は昨日から、自分の棚卸しみたいなことをしてまして

 

自分は何がしたいのか?

自分は何ができるのか?

何を知っているのか?

どんな価値観を持って

日々何を感じて

どんな想いで仕事をして

どこへ向かっているのか・・・

etc・・・

 

なんてことを考えながら、

 メモ帳に「ばぁ~~~~~~~~」って書いてみたんですよ。

 

まあ、人生51年も生きてると色んな事ありますよね。

しかし文字にしてみると、こんなしか無いっけ?ってくらい少ないのは

まだまだ棚卸ししきれてないのかもしれません。

でも文字にしてみると、ぼやけていたところが明確になってきます。

きちんと自分と向き合わないと書けないところが出てきます。

嘘を書いてもしょうがないので、そこに向き合い書こうとするのですが、

なかなか言葉が出てこなかったり、しっくりこなかったりします。

 

そんなこんなで、もがきながらそれでも何とか書き出してみて、

ふと気がついたんですよね。

 

最近はコロナの影響で、家にいることができるし、

ブログも書けているし、料理や家事も出来ている。

 

けど、現実このあと仕事に復帰する。

私の仕事はタクシードライバー

 

こうやってブログを毎日はたして書けるのか?

 

丸一日(24時間くらい)仕事するので、

その間は書き込み出来ないし。

 

家に帰れば、少し家事をして仮眠を取り、

また夕方食事の用意をして、入浴、就寝と

このどこの時間でブログを書くのだろうか?

 

ひるんでしまいました・・・

 

加えて、この先の仕事の事や収入、

自分の夢や、やりたいことへのギャップと

そのロードマップがどうしても描くことが出来ず、

また凹んでしまいました。

 

私は普段、極力明るく努め、

基本はお気楽モードの人間です。

 

アフターコロナの事も

「なんとかなるさ」と思ってきました。

 

さて、どうしたものか?

 

そういえば、先日の赤塚塾で赤塚先生が、何か言ってたような?

 

調べてたら、思い出しました!この言葉

 

********************************************

「知ってる、持ってる、それできる」

 

から

 

「やってる、生きてる、よろこんでる」

に変わろう!

********************************************

で、今の自分は??

完全に視座が

「知ってる、持ってる、それできる」

じゃないですか。

 

でもね、現実を見つめ直す事も大事な作業だったと思うんです。

 

これから、赤塚先生のおっしゃる

「やってる、生きてる、よろこんでる」

 

という視座を、自分の棚卸しと照らし合わせてみます。

 

そうすれば、きっと何かが見えてくるはず。

 

「どよ~ん」 って どーよん?

って思えるようになる(笑)

そう信じてます。

見えない洪水の真っ只中

昨日は「赤塚高仁塾」の記念すべき第一回、

フェイスブックのオンラインセミナーに参加しました。

 

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第一回のタイトルは

『今、いちばん伝えたいこと』

 

これ、めっちゃ良かったです!!

ほんと!

しかも、何度も見れるんです!!

 

 このセミナーには、参加しようかどうか正直迷っていたのですが、

ふとしたきっかけで背中をおされました。

(以下過去記事参照)

 

sando.hatenablog.com

 

なぜ参加しようと思ったかですが、

敬愛している赤塚高仁さんが、いま何を考え

不安定な今のこの状況をどう乗り切り、

アフターコロナにどう波をつかむか?

 

こんな事に少しでも触れらればいいなと。

 

で、肝心の中身ですが、具体的な行動と言うよりは

抽象的ではありますが、ガツンと魂に届く感じです。

 

しかし、決してスピリチュアル的ではなく、

各人の気付きをそくす内容でした。

 

その一端を書かせていただくと、

**************************************************************

「誰も体験したことのない、いっさいがっさい

天地が洗い流されるような『見えない大洪水』がやってきた」

**************************************************************

と冒頭に述べられ、旧約聖書の創世記「ノアの箱舟」を例に

ご自身の考えをお話してくださいました。

 

こんな事言われると、普通ビビりますよね?

ましてや世の中コロナで一色の最中ですし。

 

そこは赤塚さん。ご自身の肩書を

「人生が変わる聖書漫談師」と名乗られておりますw

 

ですので、全く怖いことはありません。

 

アフターコロナは、今までの仕事や価値観、社会の常識が

大きく変わって行く変わっていくことは明白です。

ですので、今は見えない洪水の真っ只中にいるんだと思います。

 

さて、「ノアの箱舟」では、方舟に乗った人間や動物以外は

全ていなくなってしまいましたが、アフターコロナはどうでしょう?

 

ノアの箱舟」とは、神がノアにそれを作る事を望み、

ノアは日常生活をまっとうに送りながら、着々と神の望みを作りました。

 

ノアの箱舟」とは自分の中にあるものなんですね。

アフターコロナでいっさいがっさい、仕事や価値観、社会の常識が変わる時、

自分の中の「ノアの箱舟」=神の望みを作って置くことなのではないでしょうか?

 

ということを教えていただきました。

 

 

今は準備期間

 

私自分の中の「ノアの箱舟」とは何かを考え、

しっかりと学び、発信をしていきます。

 

「国是」の重要性

いきなり聞き慣れない言葉。

 

Wikipediaを引用すると


国是(こくぜ)とは、その国の大部分の政策の方向性を決定付ける、
国民の支持を得た方針のことであり、基本的には長期的に維持される。

 

また、デジタル大辞林では

 


国民が認めた、一国の政治の基本的な方針。

 

とあります。

 

我が国では

265年も続いた江戸時代には

鎖国」という国是が。

 

明治維新後、わずか20年で、あっという間に

近代化を成し遂げた明治時代には

「富国強兵」という国是が。

 

焼け野原になった戦後には

「経済の繁栄」という国是があり、

それぞれの時代を作ってきました。

 

はたして今の日本に「国是」はあるでしょうか?

 

未曾有の「国難」には出会っていますが・・・

 

結論から言えば、残念ながら今の日本にはありません。

 

しかし、松下幸之助さんは、1966年のPHP6月号で

【国是を定めよう】

というタイトルで、以下のような寄稿をされています。


1つの団体が力強い発展をするためには、

まず基本の方針、方向というものが明確でなければならない。

国家においても、運営の基本方針、

つまり、国是というものが不可欠である。

したがって、政府は国民と共に、国家100年の

大計に基づく国是を早急に確立しなければならない。

 

松下幸之助.comより

 

高度経済成長期の最後

いざなぎ景気」の時にあたりますね。

 

 

焼け野原から見事な経済成長を遂げた日本

 

高度経済成長時代以降のその先を見据え

「国家100年の大計に基づく国是を!」

と提唱されていた松下翁はすごいですね。

 

しかし残念ながらその後

日本の指針となる「国是」は見つけることはできません。

 

なんと言っても

国民が認めた、一国の政治の基本的な方針

ですから、そう簡単には行かないでしょう。

 

しかし、それを10年前から提唱し、

着々と歩む国士がいます。

 

神谷宗幣さんです。

 

日本人が日本人として誇りを持ち

皆が安心して暮らせる社会。

先人たちが、命がけで守ってきてくれたこの國を

次世代にも、世界に誇りを持っていける國にしたい!

 

という熱い思いを胸に、地方の若手議員を中心とした

龍馬プロジェクト」というプロジェクトを立ち上げ

全国キャラバンする、草の根運動的な活動から

 

信頼できる仲間を集め

思いやビジョンを共有できる

ONE PIECE」のようなチームを作り

 

2012年には「国是」を発表されました。

 

マンガでわかる「龍馬プロジェクト」

↑これを見たほうがわかりやすいかな(笑)

 

 

 

2018年には、背景にある仕組みを理解し、
行動を変えていくしかない。
子供や若者への教育を変えていくしかない

 

という理念の基

ワンストップで政治、歴史、経済、教育、食、スピリチュアルなどの
情報を集中的に学んでもらえば、日本人の意識改革ができると仮定し、
ネットとリアルを組み合わせた「イシキカイカク大学」を設立する。

 

そして翌年2019年にはユーチューブにて

政党DIY」を配信し、政党立ち上げを宣言!

 

そしてついに今年2020年4月11日

「参政党」を結党を宣言し、党員募集を開始しました!!

 

神谷宗幣さんのオフィシャルサイトはこちら

 

 

私自身は神谷宗幣さんの事を、

4年ほど前から知りました。

 

当時は滝沢泰平の影響で、

日本の歴史に興味を興味を

もったのがきっかけで、

ネットを探していたら、

CGS(チャンネルグランドストラテジー)

の「目からウロコの日本の歴史

にどはまりしました。

 

おかげで日本のことが好きになり

もっと興味を持てるようになりました。

めちゃくちゃ面白くてわかりやすいのでオススメです!!

 

その後も他のタイトルを見まくりましたが

まだ全部見切れてません(笑)

 

てか、全部で2000タイトルくらいあるんじゃないかな?

 

これ、撮影や編集を外部に委託して

私財を投じてユーチューブに投稿しています。

ようやく最近収益と出費が、とんとんになったとか。

 

全くすごいことです。

 

神谷さん、本当にありがとうございます!!

 

イシキカイカク大学には参加できませんでしたが、

最近インストールした「KAGURA」で無料配信してくださった

動画を見て、とても興味を持ちました。

 

マスコミでは絶対に出てこない情報でした。

 

背景にある仕組みを理解し、
行動を変えていくしかない、というのはこういうことかと。

 

一気には無理ですが、すこしづつでも勉強していきます。

 

ちなみに「KAGURA」はスマホから配信される

神谷さんからの情報です。

 

ブログでもなく、メルマガでもない独自のサービスですが、

イムリーで、お得な情報もたくさん配信されますので、

こちらもオススメですよ!!