どこか変だよ?日本人

明るい日本の未来のために

おらこんな村いやだ~♪ 幼少期編

今更ですが、なんで東京に出てきたんだろって

振り返ってみました。

 

もう30年以上もいるんですね。

 

私の出身地は新潟県です。

 

今となっては新潟市秋葉区という

何となく「アキバ」を感じさせる地名ですが、

(正式には「アキハク」と読みます)

政令指定都市市町村合併により、

2005年に誕生した比較的新しい地名です。

 

私が生まれたのは、1969年。

その頃は、「中蒲原郡」という

とてつもないど田舎でした。

(ど田舎とは言っても、田舎大好き!)

 

地平線が見えそうなほど

周りは果てしなく続く田んぼばかり。

国内有数のお米どころです。

 

両親は共働きで、父は農協の職員

母は町工場のパートで働いていました。

働きながら田畑もやっている働き者。

いわゆる兼業農家というやつですね。

 

父は6人兄弟の長男だったので、

祖父母も同居している、比較的大所帯。

 

そんな家の次男として生を受けました。

 

忙しい両親からは、かまってもらった記憶がありません。

でも祖父母がいたので、私はおじいちゃん子だったと思います。

 

おじいちゃんの名前は「良吉」

(私の名前の1文字はここから来ました)

 

曽祖父(ひいじいちゃん)の残した借金を返すため、

井戸掘りという重労働をして非常に苦労をしたそうです。

 

で、この良吉じいちゃん、右腕がありませんでした。

井戸掘りで怪我をしたわけではないようですが、

なにかの怪我で、壊疽になり切断したと聞いております。

 

でも左手一本で何でも器用にこなすんです!

母から聞いた話ですが、私の布おむつも交換してくれたそうです。

すごいですよね!!

おじいちゃん、ありがとう!

 

こんなじいいちゃんあっての私ですが、

とても怖い思い出があります。

 

それはベルトをムチのようにして追い回された記憶です。

 

幼い頃なので理由は完全に忘れてますが、

兄弟喧嘩をすると仲裁に入るでもなく、

ベルトを持ったじいちゃんに追い回され、

兄弟で泣き叫んで逃げ回った記憶があります。

 

今それやったらDVとか虐待とか言われるんでしょうけど

昔ってそんな教育だったんですかね?

 

っま田舎ですし、いい家の育ちでもなかったですから。

 

この話は、お盆に帰郷すると、決まって出てくるネタです(笑)

でも、孫のことをいつも思ってくれるじいちゃんは大好きでした。

 

 

小さい頃から、特別な才能もなく、

これといって勉強が得意でもありませんでした。

いたって普通。そう、普通の子。

強いて言えば、図画図工は好きだったかな?

あと、音楽。特に合唱が好きでした。

 

なぜかと言えば

「いい声してるねぇ~」

って言われたからです(笑)

 

はい、褒めて伸びる子です!(爆)

でもそれだけです。

その後聖歌隊に入ったり、合唱部に入ったりしてません。

てか、ありませんでした・・・

 

リーダー的存在でもなかったですが、

ノリはよかったです。

 

遊びに誘われれば速攻行きます。

 

私が育ったところは、小さな里山もあったので、

小学生の時なんかは、よく山に探検に行ってました。

秘密基地作ったりね(笑)

 

そういえば探検とかいって山に入ってたけど、

方位磁石もなければ、食料や水なども持っていかなかったなぁ~

ずいぶん無謀というか、ワイルドな遊びをしていたものです。

実際迷った事もしょっちゅうでしたけどね。

 

グランドでは放課後の遊びといえば野球でした。

毎日日が暮れるまでやるんですけど、あまり上手くはなかった。

でも、純粋に楽しかった。うん、楽しかった。

 

冬になれば大雪が降るので、登下校がすでに遊びです。

除雪車が歩道に大量の雪を積み上げ、そこを歩いてゆくのですが

山あり 谷あり氷あり!!

子供にとって格好の遊び場です。

しかし、この歳になった今、あの道を通りたくはありませんが(笑)

 

あと楽しかったのはミニスキーですね!

長靴にプラスチックの短いスキーを固定して滑るやつ!!

あれはめちゃくちゃおもしろい。

雪国ならではの楽しみでした。

 

そんなこんなで遊びほうけた小学生時代ですが、

友達に遊びに誘われると、ついノリで行っちゃうんです。

 

が、共働きで兼業農家ということもあり、

両親は猫の手も借りたいくらい忙しかったでしょう。

 

ですので、家の手伝いを頼まれる事もしばしば。

 

しかし、しょっちゅう遊びに行っちゃうもんだから、

手伝いを忘れたり、サボったりしてました。

 

だって、友達みんな家の手伝いする子とかがいなかったんです。

周りの友達は、サラリーマンの家か専業農家だったり、

作り酒屋や、材木屋だったりで、手伝いしなくていいな~~とか思ってました。

 

当然頼まれごとをしなければ怒られます。

 

そうなると自分の思うようにいかなくなるもんだから、

「こんな家に生まれてこなきゃよかった」

とか平気で言ってました。

 

なんて勝手なやつでしょう!

小学生の俺!!

 

よく母に

「親になってみればわかる」

と口癖のように言われましたが、

今となっては痛いほどよくわかります。

 

そんな自分勝手な小学生の良博は、

いつしかテレビの中にある都会に憧れだします。

 

ここには何もない。

けど東京に行けば何でもある!と

 

 

私には胎内記憶も、生まれてきた意味も知りませんが

 

 もしそんな事がわかれば、また違った人生を歩んでいたのかもしれません。

 

でもそんな事を考えるよしもなく、

少年良博は、ブラウン管の向こう側の世界に引かれたのでありました。

 

つづく