どこか変だよ?日本人

明るい日本の未来のために

やぼてん

本日は近所の神社へ
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谷保天満宮

略して

やぼてん

 

やほではありません

「やぼ」です。

近くの駅は「やほ」です

ちなみに英語で書くと

Yaho

 

ヤフーみたいです(笑)


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手水舎はコロナの影響で水が出ていません。

 


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ここは学問の神様

すごい数の絵馬です。

 


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とても清々しい空気でした。

 


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境内には何匹かの軍鶏がいます。

とても綺麗な鶏でした。

 

日曜日の昼下がり、とてもよいお参りが出来ました。

お客様からの情報

三密は思わぬところにあった。

 

しかしマスコミはこの事はまったく報道していません。

 

 

今日、東京・神奈川・千葉・さいたま・北海道の

緊急事態宣言の継続が発表されましたね。

 

この苦しい状態はまだ続くのか・・・

 

旅行・宿泊施設・イベント・レジャー・飲食など

(他にもあると思うのですが、思いつく業種としてあげました)

様々な業種の方が、本当に苦戦を強いられる中、

廃業をされているところも数多くあると思います。

 

私はタクシードライバーなので、実際街を走っていると、

あったはずの店の看板などがなくなっていたり、

店舗を引き払うとおっしゃる、経営者の方を

お乗せした際お話を聞いたりと、

このひどい状況を目の当たりにし、肌で感じています。

 

そしてタクシー業界も例外なく、もろに煽りをくらっています。

そりゃ、街の動きが止まれば当然といえば当然なのですが。

 

8割接触を減らっせて、

売上を8割減らせって言ってるのと同じですもんね。

 

 

そういえば、8割の接触は減っているか?

などと品川駅を行き交う人の様子を

テレビの映像でよく目にしますが、

あれってトリックですよね?

 

上から映せば閑散とした様子がわかるはずなのに

あえて人の目線で撮影している。

すると、人と人が重なり、実際より多く見てしまう。

 

なぜそんなふうに意図的と思える事をするのかが謎です。

 

さて、冒頭に書いた

「三密は思わぬところにあった。」ですが、

これ、実際に昨日お乗せしたお客様からの情報。

 

そこは

 

はい、タワーマンションです。

 

このタワーマンション

多いところでは、部屋数が1000戸以上あります。

最大のところでは、2800戸と、度肝を抜かれる数字です。

しかも多くのところが億ションなんですよ、これが。

 

当然、家族で住んでいる方が多いので、戸数×人数

2800戸のタワーマンションに4人家族が住んでいたら

そこだけで1万人以上住んでいることになります。

 

で、この人達が外出自粛で、この中に軟禁状態になっているわけです。

子供もいます。学校にもいけません。

みんな1階のロビーなどで遊びだします。

ロビーは、住人の方々の出入り口です。

ですのでここを通らないとどこにもいけない。

 

ここが濃厚接触の場となっているようです。

 

想像しただけでもすごいです。

しかしマスコミはこのあたりのことは報道しませんね。

 

おまえが自粛しろと思うような

「自粛警察」などの報道は公共の電波を使って頻繁にしておりますが。

このタワーマンションのロビーにいたら、発狂レベルでしょうねw

 

実際お乗りになられたお客様がおっしゃっていたのは、

この環境に住むのはどうなのか?

と、コロナを機会に考えるようになったとのことでした。

 

よくわかる気がします。

 

今回のコロナ禍

感染者、死者ともにおおごとにならずに、

ひとまず収束の方向に向かっているようです。

 

まだ緊急事態宣言の継続されているところもありますが、

時間の問題だと思います。

 

おおごとにならなくて良かった、と思うだけでなく、

もしかしたら、今後起こりうる大きな禍(わざわい)に対し、

神様が与えてくれた予行演習だとしたら?

 

などと考えると、色々な事を見直す必要があるのかもしれませんね。

衝撃的な情報

本番となるパンデミック

それは2020年12月20日

 

 

衝撃的な情報が入ってきました。

 

新型コロナのことではありません。

あれはただの風邪です。

↑↑↑これを家族に言うと大喧嘩になります↑↑↑

 

日本ホメオパシー医学会の理事、

同会獣医師部会代表の森井啓二の大人気ブログ

「ひかたま」のこの記事を読んで確信しました。

 

【チコちゃんでなくても叱りたくなる】

 

では何か?

 

スーパーバグ(耐性菌)=あらゆる抗菌薬も効かない細菌

具体的には

「世界で同時多発的に発生」
「1日から2日、または数時間以内に死亡」
「感染経路も分からない」
「いかなる予防措置も効果がない(治療薬もない)」

というウイルスのようです。

 

 

さてスーパーバグの情報ですが、私が敬愛している、

滝沢泰平さんからのメルマガ

「やつはメールマガジン Vol.480」

の中に記載されていました。

 

情報ソース自体は、他のサイトのものですが

「8ヶ月も前に新型コロナウイルスを完全に的中させた」

とい予言情報。

ものすごく気になります。

 

その人物は、インド人占星術師である14歳の神童
「アビギャ・アナンド君」

 

読んでみると、的中している驚くべき内容に驚愕しました。

 

詳しくは、以下のサイトにて紹介されているので転載します。

-------------------------
「5月29日以降、コロナ収束」新型コロナを“完全予言”した14才の占い師!
「今年12月により深刻なパンデミック」(2020/04/08「TOCANA」より)

<リンク先>
https://tocana.jp/2020/04/post_151308_entry.html

-------------------------
(転載ここから)
14歳のインド人占星術師アビギャ・アナンドくんが、

新型コロナウイルスの出現を完全に予言していたことが明らかになった。

米オンライン紙「International Business Times」(4月4日付)によると、昨年8月22日にYouTubeに投稿した映像でアナンドくんは、かなり正確な新型コロナウイルスの予言をしていたという。

その内容は、

「2019年末からウイルスパンデミックが発生し、3月29日から4月2日かけて状況が悪化していき、5月29日に収束する」

というものだった。

だが、この予言についてアナンドくんは世界中のメディアが誤解しているとして、この度“正しい解釈”を示してくれた。

「人々はソーシャルメディアの至る所で、そして主流メディアでさえも、新型コロナウイルスは5月29日に終わると述べた私の予言について書きましたが、新型コロナウイルスは5月29日に終わるわけではありません。
5月29日以降、徐々に減少していくのです。人々はきちんと理解して聞かなければなりません」(アナンドくん)

アナンドくんによると、6月の終わりまで世界では何一つ良いことが起こらず、新型コロナウイルスの本格的な収束は7月からだという。

しかし人類の苦難はそれで終わらない。

新型コロナウイルスのワクチンは見つかるかもしれませんが、今後より多くの他のウイルスがやってきますし、スーパー耐性菌もやってきます。
だから、最も重要なことは、有機野菜を食べることで、私たちの免疫力を開発することです」(アナンドくん)

アナンドくんの考えでは、今後のウイルスパンデミックを生き抜いていくためには、根本的な免疫力を向上させる以外方法がないとのことだ。特にウコンは免疫力アップにおすすめだそうだ。

そして、次なるパンデミックもアナンドくんは予言している。

それは2020年12月20日に発生し、翌2021年の3月31日まで続くという。

このパンデミック新型コロナウイルスよりも深刻になるというから恐ろしい。

アナンドくんの予言通り、毎年パンデミックが発生する状況となれば、確かに免疫力を強化するより生き残る道はないだろう。ウコンがどれほど効果的かは分からないが、少なくとも栄養と睡眠は十分に取っておきたい。これを機に生活習慣を変えてみるのも良いだろう。

(転載終了)

 

 

この記事の中には、

スーパーバグ(耐性菌)などについては触れられていません。

しかし、記事中にリンクしているYou Tube動画の中で、

それは語られているようです。

 

残念ながら、私は英語が理解できないので真偽の程はわかりません。

滝沢さんは故意に煽るような方では無いことも存じています。

 

 

なので、情報としてまずはしっかりと受け止め、

その時に何ができるのか、どう乗り切るのか

最悪の場合の想定

仕事のこと

家族のこと

etc

 

いろいろ考えさせられます。

 

 

免疫力を高めるということが、

最大の防御となりそうですが

そのためのサプリメントの買い占めや、有機野菜の確保、

自分たちだけ生き残りるという選択など

それは自分のエゴなのでは?

それとも、情報という「ノアの箱舟」?

 

まだ時間はあります。

心や体、設備など、準備しておく必要がありそうです。

 

おらこんな村いやだ~♪ いざ東京 専門学校編

憧れの地東京へ18歳になったばかりの私は

新しい暮らしをスタートしました。

 

レディースには全く興味がなかったので

完全に0からのスタートです。

 

手を動かしたり、ものを作るのは好きだったので

服を縫うのは全然苦じゃなっかたんですが、

いざデザインとなると、何をどうしていいのかさっぱり

自分で着るものじゃないのでなかなかイメージ出来ませんでした。

 

憧れの女性をイメージして、その人に着せたい服を・・・

なんて事もよく聞く話ですが、そんな簡単にはイメージできず

つい奇をてらったような風な発想になってたなぁ~

 

どうせやるなら何か形にしたいということで、

ファッションコンテストに挑戦しました。

 

絵も勉強しました。

何枚もかきました。

 

この学校ってほぼ毎日課題があり、

家に帰ってからも結構忙しいんです。

課題をやっていかないと、

まあまあついていけなくなりますw

大学で言うところの、単位みたいな感じです。

 

でもコンテストは課題以外なので

時間を作ってやらなければできません。

チャレンジする人はあまり多くはありませんでした。

別に賞なんて取ったってまたいな風潮だったと思います。

 

あと、時代はバブル全盛期

街には様々な誘惑があったので、

そちらを楽しむ人も多かったでょう。

 

私といえば、仕送りのみで生活をさせてもらっていたので、

(父から、学業に専念しろという考えのもとです)

そういった遊びは全くしたことが無いんです。

今思えば残念にも思います。

(せめてマハラジャくらい行っときゃよかったw)

 

が、道を外さず、専念出来てよかったとも思ってます。

 

コンテストの話に戻ると、

周りの友達が、ちょいちょい受かりだし、

多少の焦りを感じながらも、いつか受かる事を信じて

コツコツとチャレンジしておりました。

 

ようやく結果が出始めたのが、

3年目のデザイン課に入ってからのこと。

 

ここは刺激的な場所でした。

とてもライバルが多いのですが、

それが心地よい刺激となり、

やっとこさ土台に乗ることが出来ました。

 

チャレンジをはじめて2年、

やっと両親に報告ができるところまで来れたという感じでした。

 

専門学校に入ってから、はじめての成功体験です。

 

しかしデザイン画の審査が通ったあと、

地獄が待っていました。

 

課題と並行してやらなければならないため、

とにかく時間がありません。

しかも自分で絵を書いておきながら、

いざパターンにしてみようと思っても

どうしたらいいかアイディアが浮かんで来ないんです。

 

困っていたのを見かねた、

デザイン課の中でもトップクリエーターだった

Y.Hさんが、こんなふうにしたら面白いんじゃない?

と助言をくれ、ようやく着手できる始末w

 

その後彼は山本耀司さんのブランド

「Ys」に入社するほど、ずば抜けた

抜群のセンスとアイディアを持っている人でした。

 

毎日寝る間を惜しみ、何とか形にできたのがこちら

 

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残念ながら入賞は出来なかったものの、

自信が付いたようで、その後専門学校最後のコンテスト

文化服装学院ファッションコンテスト」のメンズ部門で

3位入賞、松田賞(ニコルの創業者)をダブル受賞しました。

(その時の写真などは残念ながら残ってません)

 

3年かけて積み上げた集大成。

人生初の成功体験を経験し、

とても有意義な学生生活を締めくくる事が出来たのです。

 

お父さん、お母さん

支えてくれてありがとう。

 

と、30年前の私はきちんと伝えたでしょうか?

 

今からでも伝えよう。

「ありがとう」って

 

※次回は社会人編にするかどうか迷ってます。

 

おらこんな村いやだ~♪ 思春期高校生編2

昔の記憶を思い出して書いていると

その時の感情も一緒になって現れてくるんですね。

不思議です。

 

楽しい記憶はいいですが、

苦しい記憶はそこから逃れ出したくなります。

 

誰かが言った大変心に残る言葉があります。

「過去と他人は変えられない

未来と自分は変えられる」と

そして実は過去も変える事ができる

「事実は一つ。解釈は無限大」だと。

 

アウトプットした思い出は、

無限大に解釈することにしよっ!

 

さて、2度の失恋をした高校2年生になった私でしたが

懲りない性格もあり、その後も彼女ができました。

 

でも今日はかきません。

(振っておいて何だよ!!w)

 

2年生なると進路についていろいろ考え始めます。

東京に行くと勝手に決めていた私でしたが、

何を目指したら良いのやら???

 

当時ファッションに興味がありました。

その頃の新潟には「古町」と呼ばれるまちが

おしゃれの最先端を発信していて、

月1回はそこに行き、1日中洋服を見て回り

安くてもおしゃれな服を探しては買っていました。

 

1980年代は「DCブランド」の流行真っ只中でした。

(現在は死語ですwっw)

 

タケオ・キクチ

MEN'S BIGI

ムッシュニコル

などは憧れのブランドでしたが、

とてもそんな高い洋服は買えなかったので、

体と時間を使い、コーディネイトを楽しんでいました。

 

また、ミシンなども使い、

買った洋服をリメイクしたりしているうちに

洋服のデザインに興味がわき、

そちらの道を目指そうと思いました。

 

もともとものをつくるというのが好きだったことや、

好きなデザインを自分で作れるという単純な発想から、

ファッションの世界、そして東京に行くのだぁ~~と、

勝手に意気揚々としていましたが、

ここで急ブレーキがかかります。

 

父から猛反対にあったわけです。

 

どうやって飯を食っていくんだ?

成功するのはほんの一部だ

なぜ東京に行かなきゃいけないんだ

いくらかかると思ってるんだ

 

などなど、数ヶ月も話し合ったでしょうか。

しかし、幼かった頃からの憧れであった東京へ

しかもファッションの道にもいけるという思いは曲がらず

とうとう父も断念することに。

 

やったああああああ~~~~~

これで東京にいける!

そして好きな服が作れる!!

 

早速学校選びが始まります。

 

もともとメンズをやりたかったはずですが、

メンズじゃ飯が食えん!

(これは父のたっての希望でしたので妥協しました)

という理由で、メンズを断念しレディースの道へ。

どうせ行くなら一番の学校へということで、

有名デザイナーを多数排出した有名校

文化服装学院」への進路が決まり、

希望の光に満ち溢れました。

 

時代はバブル景気がスタートした1年後の1987年。

世間はますます華やかになり出した頃でした。

 

東京に上京した日は、父が車で送ってくれました。

祖母・母・兄・弟、家族全員で見送ってます。

旅立つ方はルンルンですが、送る方は悲しいもの。

祖母は泣きながら見送ってくれました。

 

「そうか、出ていく方はこんな気持なんだ」と、

初めて気づいたんです。

そう、2年前の別れの時はわからなかったんです。

 

そして幼き頃からの憧れの地「東京」へ。

前途洋々と思っていた生活がスタートします。

 

青春編へと

〈つづく〉

おらこんな村いやだ~♪ 思春期高校生編1

それは突然訪れました。

 

人生初、【モテ期】の到来ですwww

 

中学生編に書きましたが、

その頃のあだ名は「ワンゲッチ」

訳して「カエル男」です。

(一番カエル=ゲッチに似ているからだとか)

 

それがですよ、高校に入ったとたん

そんな事がおこりました。

もうワケワカメですw

 

浮かれた私は、人生初の告白をしました。

手紙だったとおもいます。

ラブレターですね。

 

結果は

 

OKが出ました。

 

バラ色です!

これで高校生活はすばらしいものになる!!

 

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はずでした。

 

何と、3日で振られました。

はい、3日彼女ですw

(その後彼女は本来の持ち味を発揮し、スーパーヤンキーになりましたw)

 

そんなもんですよ。

そんなに上手くいきません。

 

失恋の痛手を負った私は、

バレーボール部に入ることにしました。

(無関係)

 

1985年当時、バレーボールがめっちゃ流行ってて、

ファッショナブルでかっこいいスポーツの

代表格のような存在でした。

 

中でも川合俊一さんはリーダー格として

とても人気があり、自分もあんなふうになりたいと思いました。

 

あの頃部活といえば、男子は坊主が主流でしたが

バレーボール部はそうじゃなかったのも魅力の一つでしたね。

 

そんなこんなでバレーボールに入りましが、

このスポーツ、めっちゃ楽しかった!

言葉には上手く出来ませんが、とても充実した3年間を、

先輩と仲間と後輩と過ごさせていただきました。

思い出しても胸が熱くなります。

みんなで一つのものを目指して行くという経験を本気でしました。

 

汗かきながら、笑って、叫んで、怒って、ぶつかって、泣いて

もういろんなエネルギーが、目標に向かって一丸となっていくんですよ。

まさに青春の思い出。

またあんな体験したいなぁ~。

 

色恋話に戻りますw

1年生の時、3年生のマネージャーから告られました。

マネージャーは2人いて、Aさんは超美人さん。

Bさんはまあ普通。

 

で、告られたのはBさんからでした。

しかも、この時Bさん彼氏がいた?

別れたばかりかのどっちかでした。

 

あまり興味もなく、特に気になる存在でもなかったので

何度かお断りをしました。(上からかよ!)

 

それでもあまりにも何度となく告るので、

断り切れず、ある日デートへ。

 

これが運命の始まりです。

これを堺に一氣に恋に突っ走りました。

初めての両思いということもあり、

周りが見えなくなってしまいました。

 

そう、恋は盲目ですw

 

しかし、私が恋に舵を切ったあと

予想打にしないことを聞いてしまいます。

 

それは進路のこと。

 

何と彼女は東京の学校に行くというではありませんか。

私は何がなんだかわからくなりました。

 

こんなに好きなのになぜ?

なぜ東京に行くのに、残される私に何度も告る?

なぜ?なぜ?なぜ?

 

彼女が東京に行くまでの数ヶ月間、

愛おしい感情もありながら、

今までに経験したことのない

複雑な感情がごちゃまぜになり、悩み・苦しみました。

 

そして彼女は東京へ行ってしまいました。

 

今のように携帯電話などがある時代ではありません。

寮生活なので電話も出来ない状況。

手紙のやり取りが数回あったでしょうか。

 

次第に連絡が途絶えました。

 

自然消滅

 

わかってはいましたが、しばらくは傷心していました。

 

この頃からだったかもしれません。

「やっぱ田舎者はだめなんだ」

「東京行かないと」

と決意をしはじめたのは。

 

〈つづく〉

おらこんな村いやだ~♪ 思春期中学生編

中学生になると部活に入りました。

 

私は小学校の時、仲の良かった友達の誘いで

剣道クラブに少しだけ通っていたことがあります。

今でいうスクールみたいな感じでしょうか。

 

隣町の体育館まで、約3キロの道のりを歩いて通いました。

5年生位で、週2だったと思います。

時間は18時~20時(19時?)

 

1年位通ったでしょうか?

 

辞めちゃいました。

はい、根性なしです(キッパリ)

 

何でもやりたがるんですけど、

長続きしないんですよね、昔から。

 

で、中学生になった時に、経験者として

勧誘がきたんですが、剣道部はお断りしました。

なんか嬉しかったけど、こっ恥ずかしかったのと

なんか古臭いイメージがあって、

もっとかっこいいのやりたかったんですよ。

えーかっこしーなんですw

モテたかったんだよな~(多分)

 

そこで選んだ部活は!

ジャジャーン

テニス部です!!

 

当時はマッケンローVSボルグが有名で

めちゃくちゃかっこよく、おしゃれに見えました。

テニスじたいがおしゃれの代名詞みたいな

そんな時代だったと思います。

 


【テニス】ボルグとマッケンローの残した伝説【神業】Borg and McEnroe Legend of Tennis

 

こんな田舎にもあったんですよ、テニス部。

し、しかし

軟式でしたwww

(今はソフトテニスと言うそうです)

 

でも、テニスはテニス。

庭球部だったかな?w)

 

ラケットやシューズ、ユニフォームなんかも買ってもらい

テンションマックス!!

もうやめるなんていう中途半端なことは許されません。

 

一生懸命がんばりました。

部活がある、遠征があると言って、

家の手伝いを出来ない理由にしたり

(あかんやつや・・・)

 

その頃の部活のトレーニングって、

ウサギ跳びとか、人間椅子とか、喉乾いても水のむなとか、

かなりドSな物が多かったような気がします。

 

そんなイジメのようなトレーニングを耐え抜き

真面目に練習を重ね、楽しみながらやっていたソフトテニスですが、

残念ながらレギュラーになれませんでした(;_;)

いわゆる補欠です。

スーパーサブというとかっこいいですが、

そんなにかっこいいもんじゃなかったです。

才能は練習やトレーニングで補えるものではありませんでした。

経験者はいなかったので、みな同じ条件でのスタートです。

 

当然補欠はモテませんw

しかしレギュラーはめっちゃモテます!

 

はい、私の目標であった

・レギュラーになること

・モテること

は、両方手に届くことはありませんでした。

 

しかもその頃のわたしのあだ名は(女子のみそう呼んでいた)

「ワンゲッチ」「ワンゲ」でした。

 

全く意味がわかりません???

 

理由を聞いてみてびっくりです。

「一番カエルに似ているから」だそうです・・・

 

ちなみに「ゲッチ」とは私の田舎でカエルのこと。

私、中学生の頃、女子からは「カエル男」に見られてたんですね。

そりゃモテないわけだwww

 

 

成功体験と言う言葉はよく聞きます。

成功の反対は「失敗」でしょうか?

 

ネットで調べてみると「挑戦しないこと」などと出てきます。

 

いや、頑張ったと思うんだけどな。

でも結果的にはそうだったんでしょう。

 

でも一番しっくり来る言葉は「平凡」ですかね。

というわけで、私の中学時代の「平凡体験」でしたw

 

諦めず、中途半端に辞めなかったことだけでも褒めて上げましょう。

よくやったね、中学生の俺。

 

高校生へとつづく