どこか変だよ?日本人

明るい日本の未来のために

おらこんな村いやだ~♪ 思春期高校生編2

昔の記憶を思い出して書いていると

その時の感情も一緒になって現れてくるんですね。

不思議です。

 

楽しい記憶はいいですが、

苦しい記憶はそこから逃れ出したくなります。

 

誰かが言った大変心に残る言葉があります。

「過去と他人は変えられない

未来と自分は変えられる」と

そして実は過去も変える事ができる

「事実は一つ。解釈は無限大」だと。

 

アウトプットした思い出は、

無限大に解釈することにしよっ!

 

さて、2度の失恋をした高校2年生になった私でしたが

懲りない性格もあり、その後も彼女ができました。

 

でも今日はかきません。

(振っておいて何だよ!!w)

 

2年生なると進路についていろいろ考え始めます。

東京に行くと勝手に決めていた私でしたが、

何を目指したら良いのやら???

 

当時ファッションに興味がありました。

その頃の新潟には「古町」と呼ばれるまちが

おしゃれの最先端を発信していて、

月1回はそこに行き、1日中洋服を見て回り

安くてもおしゃれな服を探しては買っていました。

 

1980年代は「DCブランド」の流行真っ只中でした。

(現在は死語ですwっw)

 

タケオ・キクチ

MEN'S BIGI

ムッシュニコル

などは憧れのブランドでしたが、

とてもそんな高い洋服は買えなかったので、

体と時間を使い、コーディネイトを楽しんでいました。

 

また、ミシンなども使い、

買った洋服をリメイクしたりしているうちに

洋服のデザインに興味がわき、

そちらの道を目指そうと思いました。

 

もともとものをつくるというのが好きだったことや、

好きなデザインを自分で作れるという単純な発想から、

ファッションの世界、そして東京に行くのだぁ~~と、

勝手に意気揚々としていましたが、

ここで急ブレーキがかかります。

 

父から猛反対にあったわけです。

 

どうやって飯を食っていくんだ?

成功するのはほんの一部だ

なぜ東京に行かなきゃいけないんだ

いくらかかると思ってるんだ

 

などなど、数ヶ月も話し合ったでしょうか。

しかし、幼かった頃からの憧れであった東京へ

しかもファッションの道にもいけるという思いは曲がらず

とうとう父も断念することに。

 

やったああああああ~~~~~

これで東京にいける!

そして好きな服が作れる!!

 

早速学校選びが始まります。

 

もともとメンズをやりたかったはずですが、

メンズじゃ飯が食えん!

(これは父のたっての希望でしたので妥協しました)

という理由で、メンズを断念しレディースの道へ。

どうせ行くなら一番の学校へということで、

有名デザイナーを多数排出した有名校

文化服装学院」への進路が決まり、

希望の光に満ち溢れました。

 

時代はバブル景気がスタートした1年後の1987年。

世間はますます華やかになり出した頃でした。

 

東京に上京した日は、父が車で送ってくれました。

祖母・母・兄・弟、家族全員で見送ってます。

旅立つ方はルンルンですが、送る方は悲しいもの。

祖母は泣きながら見送ってくれました。

 

「そうか、出ていく方はこんな気持なんだ」と、

初めて気づいたんです。

そう、2年前の別れの時はわからなかったんです。

 

そして幼き頃からの憧れの地「東京」へ。

前途洋々と思っていた生活がスタートします。

 

青春編へと

〈つづく〉